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  • 2012.03.12 Monday
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休止してます


諸事情により休止中。
2013年の春より再開予定。

たぶんね。

かわいそうなモげちゃん

先月26日に日本に帰って来て、あっという間に一週間以上が過ぎてしまいました。
これ↓は26日の朝、日本に帰る直前に写した我が相棒の姿です。

moge

2009年の10月に購入した電気バイク、通称モげちゃん。故障中。
見て下さい、このボロボロになった姿。かわいそうなモげちゃん。
まぁ、1年と4ヶ月も一生懸命走ってくれたし・・・これくらいにはなるよね。
下の写真は、モげちゃんの隣にあった同じ種類の電気バイクです。
見て下さい。モげちゃんと違ってこのきれいなこと!

sinpin

モげちゃんという名前の由来は説明するの面倒なのでこっちを読んで下さい。

今までありがとう、モげちゃん、ご苦労様。

「病は気から」は本当だた

どうも、本来なら今日北京に戻るはずだったゆーまです
昨日たおれてしまい訪中は中止になりますた。今自宅で養生しております
お医者さん曰く精神的に消耗しきってる状態で無理したからとのこと

熱40度出て頭フラフラで関節痛くてのど痛くてもう死ぬって感じでした


んで、朝からずっと点滴して、やっと熱が37度に下がりました
まだちょっと頭痛いけど何とか生きてます

ええと実は先日、精神科で鬱病と診断され、お薬処方されました
兆候は去年の12月頃から見え始めており、
1月中旬から連続で襲ってきたショックのためどん底に落ちちゃったという話らしい
で、先生曰く、今回すぐに北京に戻らずしばらく日本で休養とった方がよいとのことだったのですが、でも飛行機代ももったいないし教授に渡さなきゃいけないものもあるし、どうしようかなって悩んでいたら

昨日ぶっ倒れてしまったというわけ
食欲やら抵抗力やら落ち切ってるときだったから、簡単に悪化してしまったというわけですな
ホントに三途の川見えかけたわ

まぁ一週間ものんびり過ごしたら治るよね

鬱病って聞くともう今やちっとも珍しいもんじゃなく
現代人の4人に1人(5人に1人だっけ)がかかるありふれた病らしく
風邪ひいたからちょっと病院行こうってのと同じノリで診てもらってもいいんだよね
なんか自分で必死に弁護してるように聞こえるかも知れませんが

とりあえず鬱を言い訳にしない
「ぼく鬱だから」なんていう言い訳は絶対に使わないようにするんだぜ

人民日報の読み方

明日、北京に戻ります。という予定だったんだけど、お医者さんに、今は戻らないで日本で療養した方がいいと言われました。でも飛行機代もったいない。うーんどうしよ。ブログとか書いてる場合じゃないんだけど、今は頭使わない方がいい、少しでも休養をとった方が良いと言われたので、まぁいいよね。ただの怠ける口実じゃんって言われそうだけど。

これ↓時計だよ。小樽のガラス工芸品。かわいいかな?赤い花柄のデザインのもあるよ。

tokei

こういう写真うpしてるのってスイーツ(笑)っていうんだろうか。
でも本当にかわいいでしょ。頑張ったんだよ。もらってくれる人募集だよ。
以下、また中国語のテキストについて。

sinbun

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ガラスの精神

改めて思う。自分はやはり歴史研究にも地域研究にも向いていない。
今さらかYOって話だけど、特定地域の実証的な動向研究なんかには絶対向いていない。
歴史的知識を土台に同時代を見つめるとか出来ない。
政府文書を緻密に読み解くとかそんなん無理death
目に見える具体的事象ばっかり追いかけていたら、精神世界との対話に飢えて死ぬ。

だからやっぱり、中国の外交史とか安全保障政策の動向についてとか、
それはぼくの分野じゃなないことに気付いた。今さら気付いた。ホントに今さら。

どこかのサイトによれば、地域研究とは
「実践を通じて既存の学問的ディシプリンの理論・学説の有効性を高めようとする試み」
なのだとか。じゃあぼくは、学問的ディシプリンそれ自体の研究発展に努めたい。

いやもちろん、エジプトの動向が報じられるのを見ていてすごく楽しいんだけれどもね。
中国の軍の動向に関する報告とか読むとwktkしちゃうんだけれども。
自分がそれを専門に追いかけるとなるとやっぱり無理。ぼくの仕事じゃない。

もっと精神的に豊饒な世界に飛び込みたい。
つまり現実の世界で生きるのに向いていないってことなのかな。




さて、そんなわけで今日は2月13日。1年5ヶ月。
今日は久しぶりに気晴らしに行くのです。小樽一人旅なのれす。
来月の今日のため、ガラス工芸に挑戦します。楽しみでやばい眠れない 
何このアクティブな引きこもり!!

社会とは何か―システムからプロセスへ

小中学校が一緒だった人を見つけた。一度も同じクラスになったことないし、ほんの数回しか話したこともなかったので、まぁ覚えていないだろうなと思いつつ恐る恐るメッセージを送ってみた。すると、少しだけど覚えているとの返答が。馬鹿だと思われるかも知れないけど、こういうのが真面目にうれしい。泣きそうになるくらいうれしい。

涙もろくなった。映画観たときや友人の優しさに触れたときにウルっとするのはまだ許されるとしても、新書読んで泣くとかどんなキモイおじさんだよ。以下の本の第5章で水俣病の惨状と地元住民の約20年に渡る闘いが綴られているのだが、そこの描写がやばい。図書館で受験生がカリカリ勉強してる横で号泣しかけたわ。ごめんね受験生(´・ω・`)

前半3章では、社会が発明され、発見され、やがて固有の分析対象となる過程が解説される。しかしそこに成立した社会学は、社会の領域を国家と同一視し、社会を均質的で閉じた空間と見なすシステム論的なものであった。筆者は昨今の移民問題や文化の差異による対立・排除の問題の頻出から「システム」としての社会認識を批判し、むしろ社会を多様な諸個人と諸集団のせめぎ合う競合的な「プロセス」とする見方を提示する。第4章では社会と文化の関係性、第5章では(水俣病の話で泣いた記憶しかないのだが)コミュニティと社会及び公共圏の関係性について議論される。

以下、ぐだぐだになっちゃったけど自分なりにまとめておいた。

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波平さんの毛

来週の木曜日、北京に戻ります。卒論に全力を注ぎます。寮に一人引きこもってずっと書きます。完成するまで外出しません。合格もらったら即帰国して、卒業式の日は証書だけもらいに行きます。もうどうしようもない。

ええと、行ってきました。雪まつり。午前中から大通りに行って、お昼前には全部見終わってしまいました。しかし午後の用事が急に無くなり、時間が空いてしまったので、午後の部も行きました。合計で3周くらいしてしまいました。とりあえず足疲れますた。そして人ごみに酔ってしまった頭痛い・・・(´・ω・`)

以下、2011年度第62回雪まつりの雪像の写真。ちょっとだけ。
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和訳の技術

雪まつり\(^o^)/ハジマタ!!

今日たまたま大通りへ行ったら、友人から「今日からだよね」というメールがくる。そうだった今日からだった。かなり前から楽しみにしていたのに、直前になって忘れていた。帰りにチラッと見てきたけれども、今日はカメラも持っていなかったし、明日か明後日、また来よう。夜に行くといわゆるラブラブのカップルという奴らに囲まれる危険性があるので、昼間に行こう。楽しみ。去年ふみすけと行ったのが懐かしい。あれからもう一年経ったのか。早いなぁ。

それにしても、街中で見かける中国人の多いこと。もちろんその他の外国人も大勢いるのだけれども、中国人は特に目立つ。そして今日なんとそのうちの一人に話しかけられてしまったのだ。まぁ単純に道を聞かれただけなんだけれども、たどたどしい日本語で聞いてくるものだから、こちらが中国語で話してあげると、やたらと感激するんだわ。すっごい吃驚してた。謝謝謝謝って繰り返してた。心ならず人助けしてしまった。ぼ、ぼくは不本意だったのに、謝謝って言われても困る!

さて、今日会った中国人に「どうしてそんな上手なの?」と聞かれた。全然上手じゃないが、まぁある程度話せるのは、現地で生の中国語に触れていたからというのが大きい。外国語を学ぶ際、現地へ行ってそこで直接学ぶという方法がある。この方法は、ある程度基礎が身に付いている人にとっては飛躍的な向上を期待できるけれども、挨拶も自己紹介もできない、完全な初心者という人がいきなりその方法を試してみても、はっきり言って初期の頃は大変非効率的である。とはいえ、そんな人でも否応なく現地の言葉を話さねばならないので、現地で真面目に勉強すれば、数ヶ月で簡単なコミュニケーション能力が身に付くことは間違いない。上達の早い人なら道案内くらいも出来るようになるだろう。

現地の人と交流すれば会話力は向上し、現地の雑誌や新聞を読めばもちろん読解力も身に付く。ぼくの周りにも、純粋な日本人なのに、日本人の訛りがまったく感じられないような流暢な中国語を話す人が多くいる。しかしながら、そういう人たちの盲点になっているのが、「和訳力」である。ぼくも含めて、現地で外国語を身に付けた皆さん、和訳が大変下手クソなのである。そりゃもちろん、そうなるのも仕方ない。24時間外国語に触れており、外国語でものを考え発言し、和訳を実践する機会などないのだから(ある程度外国語が上達したら、日本語を介さず外国語で考え話す、というのは常識)。

現地の人に「あんたはすごい」と褒められるほど、流暢な発音。慣用句やその言語独特の言い回しも、ネイティブまであと数歩。そんなすごい人だからこそ、和訳や日本語そのものの表現技法の練習を怠ってしまう。すると、その言語で道案内をやらせるととっても上手なのに、和訳させると途端に怪しい日本語になる、という事態が生じる。初心者に「あの人今何て言ったの?」と聞かれ、十分に理解しているのに、うまく説明できない、ということも珍しくない。まぁ、通訳や翻訳家を目指しているのでなければ、和訳の技術なんてそこまで重要じゃない、と言われるかも知れないけれども。

とりあえず、どんなにある外国語のスピーキング、リスニング、ライティングやリーディングが上達しても、「和訳」はおそらくそれらとは独立した別個の領域の技術であり、それ専門の勉強をしなければ上達しないということ。そして、当然ながら、現地の勉強での上達は難しい(よっぽど日本語表現に長けた先生と、優れた和訳のテキストが現地にあるのなら別だけど)。前置きが長くなったけれども、そんなわけで、本格的に和訳の練習をしようと、買ってみたのが以下の本。

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永田洋子の死に思う

 2011年2月5日、永田洋子が死亡しました。脳萎縮、誤嚥(ごえん)性肺炎とのことです。72年に逮捕され、93年に最終的に死刑が確定されていながら、最期まで執行されずに、死去しました。享年65歳。冥福を祈ります。

 冥福を祈る、なんて言ったら、「お前あいつらのシンパか!」と怒られるでしょうか。当然ながら、シンパなはずがありません。どんな理由であれ、14人を凄惨なリンチの末に殺害した蛮行を、許すことはできません。彼らがどれほど優れた理想社会を描いていたにしろ、無辜の人々の犠牲を厭わない手段でそれを実現しようとしたことは、決して許されるべきではありません。

 しかしながら、忘れてはならないことは、我々が彼らの蛮行を「許せない」と思うのは、彼らの革命が失敗したからだ、ということではないでしょうか。突拍子もない仮定ですが、もし彼らの革命が成功していたとしたら、果たして我々は彼らを「許せない」と憎んだでしょうか。もし、彼らが日本に共産主義政権を樹立させ、日本人民共和国が成立し、森恒夫国家主席と永田洋子主席夫人が君臨していたとしたら。

 おそらく、残忍なリンチの記録は隠蔽、もしくは改竄され、彼らが裁かれることはなかったでしょう。よしんばその記録が明るみに出ても、共産日本では、国家建設の功労者である彼らを正面から批判することは許されなかったのではないか。(あの時代の日本で暴力革命が成功するなんて仮説は荒唐無稽だと思われるかも知れませんが、まぁその点は目をつぶって下さい)

 実際、ぼくはそういう国に数年間滞在していました。権力闘争の末、多くの同胞を粛清した暴君一人未だに裁くことのできない国です。粛清された人々の大部分の名誉は回復されました。しかし、生命を奪われた人にとっては、名誉回復など何の慰めにもなりませんし、第一、暴君の晩年の失政の多くは彼を取り巻く“四人幇”の過ちとして誤魔化されました。そして大衆は、自由に評価することを許されていません。

 連合赤軍は失敗しましたし、隣国の運動はあまりに赤裸々な暴力行為だったため批判に晒されましたが、では成功した場合はどうでしょうか。権力主体が正当性を確立する過程に犯した様々な反社会的活動が、確立後には肯定的に評価されているという可能性は大いにあります。また、正当性を付与された権力機構による暴力行使は、通常、合法的なものと看做されます。永田洋子や森恒夫の私的な暴力行為を我々は許せないと感じますが、公的な暴力行為であれば、我々はその妥当性の検討を容易に怠ってしまいます。

 日本は統治(支配)されている側が「統治(支配)されている」と実感することもないほど高度に民主化された国家です。このことは取りも直さず、大衆が統治権力に馴致されていることを意味します。つまり、我々が連合赤軍の挑戦を反社会的行為として糾弾する際に依拠している規範体系は公権力によって規定されたものであるかも知れないのに、それら規範体系は十分に我々の中に同化しているがために、そこに疑いを持たずにいるのかも知れない。同時に、公権力による「誤った権力行使」を、我々は(彼らに規定された)我々の規範体系と矛盾しないために、無批判に受け入れがちであるのかも知れない(権力の行使に、気付いていない可能性すらあります)。

 榛名ベースや迦葉ベースでは14人の若者が「総括」の名の下に森や永田に殺害されました。リンチに加わった他のメンバーは、二人を恐れながら、しかし反発できず、虐殺に関わり続けました。現代の民主国家がこのような凄惨なリンチを働くことはさすがに考えられません。しかし今日、(公的)権力による大衆の同質化・規律化を、大衆が深い疑問もなく受け入れていること、そこに違和感を覚える少数者は沈黙を強いられていることは、心得ておくべきだと思います。権力主体から正当性が剥奪されるだけで、そこに驚くほどの醜さが露呈するのです。

 さて、メンバーに執拗に総括を迫った永田洋子は、65歳で死去するまで、獄中で自らを総括できたのでしょうか。14人の死に責任を負う彼女のことは憎く思いますが、死者としての彼女に対しては、もう冥福を祈る他ありません。死亡の報を受けた元弁護人の秋田一恵弁護士の言葉が非常に印象的です。
あれだけの事件を起こした人物なのだから、きちんと治療を受けさせたうえで、歴史の証人としてあの事件について考え続け、発言してもらいたかった。その機会が奪われたという意味で、非常に残念。


北京から荷物が届いた

北京の友人に電話をかけてみたら、爆竹の音で何言ってんのか全然聞こえない。
戦場かYO。毎年のことだけど、未だに慣れない。あの無駄な爆竹音には。
この時期に中国へ行く人は大変だなぁ。耳やられないように、気を付けて。あと火傷にも。


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